穴澤天神社由緒

穴澤天神社は、新編武蔵風土記稿によりますと、今から二千四百年前の昔、人皇第六代孝安天皇の御代、四年に創建されたと記されております。 主祭神は少彦名命を御祀りした社で、この命は人民に医療法や造酒の術を授けられ、特に薬の神から健康増進の神として、又国土経営に偉功を遺された著名な御方であります。
元禄七年(一六九四)に新たな社殿のご造営が行われ、その時、菅原真公を合祀しました。公は古くから文学の神として、親しまれ広く仰ぎ祀られており、大正七年には、村内矢野口字谷戸に鎮座しておりました、国安神社の大己貴命を更に合祀して、縁結、開運の神として以後皆さまから崇敬されております。
境内下の辨天坂参道入口右側沿には、横穴巌窟がありましたが、昔の巌窟は崩れ落ち現在は二度目の洞穴に変わりましたが、これが即ち当神社の社号「穴澤」の起源であります。この洞穴には、元種々の神仏の石造が安置した跡も今現在残っており、明治四年神仏分離の際、神仏の石造は、別当職でありました威光寺に遷され、以後安置している洞窟を辨天洞窟と称されます。
穴澤天神社は、延喜式内神明帳所蔵(延喜五年選上)に記されている古社で多摩八社の一社であり明治八年郷社に列せられました。        

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